ゲラチーの気まぐれ雑記

日々自分が思っていたことや考えたことを記録する日記

CSTOと南オセチア紛争について

           (南オセチア

 

当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。

 

いつも流行りとは無関係の私ですが、

今回は流行にいつの間にか乗っていました!

 

今の流行の最先端・・・「コロナの陽性反応出ました!!」

熱も39℃近い熱が出ました!

 

高熱が出る1日~2日前から体のだるさや咳が出ていたのですが、

夜、高熱が出てオミクロンではと思い、

抗原検査キッドで検査したところ、陽性反応が出ました。

 

高熱は一晩で下がり、翌日は37℃後半を維持し、

その翌日は37℃前半を維持し、

4日目でやっとスッキリした気分になれました。

 

たまに微熱が出たりしもましたが、

その後は気分も体調も順調に回復しましたが、

普通の風邪と違い、最後に喉の痛みがきました。

 

通常の風邪だと

最初に喉の痛みが来ることが多かったのですが、

まぁ~、人によるのかも知れませんけどね。

 

自分では思ったよりも軽くすんで良かったと

思っています。

 

ワクチンは4回打っていて、

5回目のオミクロン対応ワクチンの

予約を今月入れていましたがキャンセルしました。

 

感染して何が一番嫌かと言ううと、

ウイルスが体の中に蔓延している時の

だるさや気分の悪さです。

 

熱は37℃代でたいしたことない感じの時も

倦怠感が半端なかったです!

 

4回目のワクチンの副反応が微熱が出たり、

身体のだるさが半端なかったので、

5回目を受けるのを躊躇してしまいました。

 

もっと早く5回目を受けていれば、

もっと軽い症状ですんでいたかも知れませんが、

あとの祭りですね。笑

 

皆様もどうか気を付けて下さいませ。

さて今回は、CSTOについての記事ですが、

私はCSTOについて詳しいことを知らなかったので、

今回は自分の知識を深めるために、

CSTOについて書きました。

 

自分向けの記録のような記事です。

こんなつまんない記事読んでくれる人

いるのかなぁ~・・・

 

まぁ~いいかぁ~、自分向けの記事だし、

人気のないブログだから

書きたいことを書くことにしましょう。

 

今回は

1 CSTOとは

2 ナゴルノ・カラパフ紛争

3  南オセチア紛争

4 ロシアは意にそぐわない国をねじ伏せる

について書きました。

 

       

CSTO(集団安全保障条約)とは

 

ロシアが主導する旧ソ連の軍事同盟国

CSTO=集団安全保障条約機構の首脳会議が11月23日に

アルメニアの首都エレバンで行われました。

 

CSTOは1995年5月15日に

ソビエト連邦の構成共和国6か国が調印した

集団安全保障及ぶ集団的自衛権に関する同盟国です。

 

加盟国が攻撃を受けた際には、集団的自衛権を行使します。

平和維持部隊も持ちます。

 

3か国の新規加盟、3か国の条約延長拒否を経て、

現在の加盟国はアルメニアベラルーシカザフスタン

キルギス、ロシア、タジキスタンです。

 

           概説

ソビエト連邦崩壊後の1992年5月15日にタシケントで、

アルメニア、カザフタン、キルギス、ロシア、

タジキスタンウズベキスタンが署名しました。

 

 

1993年にアゼルバイジャングルジア(現・ジョージア)、

ベラルーシががこれに加わりました。

 

条約は1994年4月20日に発行しました。

 

1995年11月1日に同条約は国連連合事務局に

登録されました。

 

1999年4月2日CSTOの有効期限5年延長に関する議定書に

アゼルバイジャングルジア(現ジョージア)、

ウズベキスタンは延長せず、同条約から離脱しました。

 

このうち原加盟国だったウズベキスタン

2006年8月に再加盟しましたが、

2012年6月に脱退しました。

              (ウイキペディア引用)

 

   

   ナゴルノ・カラパス紛争

 

加盟国のアルメニアと条約から離脱したアゼルバイジャンは、

ナゴルノ・カラパスを巡る領土紛争で対立しています。

 

ロシアとアゼルバイジャン

軍事面での関係強化領土紛争の解決に向けた協力を含む

「同盟的協力宣言」に署名しました。

 

コーカサス地方アゼルバイジャンアルメニア

係争地となっている

アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラパス共和国)

を巡る軍事衝突です。

 

2020年9月27日の朝、

ナゴルノ・カラパス境界沿いで勃発しました。

 

双方とも相手が先に攻撃したと主張しましたが、

衝突はアゼルバイジャンによって戦端を開かれた可能性が高く、

主要攻撃目標は、山岳地帯が少ない

ナゴルノ・カラパス南部とされた。

 

1ケ月半の戦闘行為と数回にわたる停戦合意を経て、

アゼルバイジャンが勝利しました。

 

アルツァフ共和国は

領土の大部分をアゼルバイジャンに返還し、

実効支配地域は旧ナゴルノ・カラパス自治州の

領域のみとなりましたが、帰属の決定については

将来に棚上げになりました。

 

   

2022年2月、ロシアとアゼルバイジャン

軍事面での関係強化や領土紛争の解決に向けた協力を含む

「軍事的協力宣言」に署名しました。

 

この直後の2022年2月24日に

ロシアがウクライナに侵攻しました。

 

加盟国のベラルーシはロシアを支援し

侵攻の拠点が置かれました。

 

他方、NBCによりますと

加盟国のカザフスタンはロシアからの

ウクライナ侵攻への軍の派遣要請があったが断ったとされ、

ウクライナ東部の親露派の2地域の独立についても

承認していません。

 

2022年11月23日の会議では、

開催国のニコル・パシニャン首相は、

ナゴルノ・カラパフ地方を巡る衝突において

集団安全保障条約が機能していないことへの不満を

表明しました。  (ウイキペディア引用)

 

        (エコノミストオンライン引用)

     

   南オセチア紛争

 

ジョージアグルジア)はウクライナと同様に

1991年にソ連が解体するまでは、

ソ連を構成する15の共和国の1つでした。

 

2008年8月7日から8月16日にかけて起こった

ジョージアグルジア)とロシアの紛争。

 

ロシア側には分離派の南オセチアやアブパジアも

参戦しました。

 

陸戦、航空戦、海戦の全てが行われ、

21世紀最初のヨーロッパ戦争とされています。

 

名称は他に、グルジア・ロシア紛争、8月戦争、

5日間戦争とも言います。

 

日本では、グルジア戦争とも言います。

 

     概説

 

かつての1991年から1992年にかけての南オセチア紛争は、

グルジア人(オセチア人)との間に起こったものであり、

ジョージア国内の非政府支配地域である南オセチアをロシアに

帰還させるかどうかが争われたものでした。

 

このような背景があり、2008年の夏には

関係地域でかなりの緊張感が高まっていました。

 

2008年8月7日の午後、

先に軍事行動を起こしたのはロシア連邦である。

 

コーカサス研究所の廣瀬陽子さんによれば、

ジョージアが主張した

「ロシアから挑発があったから攻撃した」

という主張は正当性があるとしています。

          (ウイキペディア引用)

    

    ジョージアとは

ジョージア黒海の東にある人口約400万人の国です。

 

民族の9割近くがジョージア系で、アゼルバイジャン系、

アルメニア系、ロシア系、オセチア系などが残りを占めます。

 

19世紀前半にロシア帝国に併合され、

1922年には旧ソ連支配下になりましたが、

1991年にソ連崩壊前に独立を宣言しました。

 

ロシアとの関係は南オセチア紛争後悪化、

国交を断絶しています。

 

日本語での国名呼称もロシア語に由来するグルジアから

ジョージアに変更しました。

 

ロシアが占領している南オセチアとアブバジアには、

ロシア側が一方的に「境界線」を作り「国境」と呼び、

そこには有刺鉄線が張られ、ジョージア側から入ると

殺されてしまう場所になっています。

 

さらにロシア側は境界線を勝手に動かして、

じわじわと拡大しようとしています。

 

非人道的なことも行われており、

国連を通じて継続的に強く抗議をしています。

 

ジョージアは従来から

NATO北大西洋条約機構)加盟の意欲を示しており、

3月にはEU加盟の申請を正式に発表しました。

         (エコノミストOnline引用)

      

 

ロシアは意にそわない国をねじ伏せる

 

ジョージアウクライナと同じく、

1991年のソ連崩壊で独立しました。

 

政府は一貫して親欧米路線でロシアと対立してきました。

 

これに対してロシアは

90年代初めから民族の違いなどを理由に

ジョージアからの独立を宣言していた南オセチア紛争などの

地域紛争に介入して分離独立派を支え、

ジョージア政府に圧力をかけ続けてきました。

 

ロシアは侵攻後、南オセチアと同様に

ジョージアから事実上の分離独立状態にあった

アブハジア自治共和国をそれぞれ

「独立国」として承知しました。

 

ロシアはジョージア侵攻の理由に

「自国民の保護」をあげました。

 

ロシアは事実上支配下に置いた南オセチア

住民らに以前からロシア国籍を与えていたからです。

 

1991年の独立時に旧 ソ連国間で交わされた

「互いの領土と独立を尊重する」という合意は

踏みにじられました。

 

そして6年後、

ロシアはウクライナ南部のクリミア半島

併合しました。   (GLOBE+引用)

 

   NATOの将来の加盟国

 

NATOは、首脳会議でジョージアウクライナ

「加盟候補国」とするのを見送っています。

 

NATOは一方でジョージアウクライナを「将来の加盟国」と

位置づけることには合意していました。

 

ただちに両国を加盟交渉開始を意味する

候補国とするよう主張した米国に対し、

ロシアの反発を恐れる独仏などが抵抗した結果の

妥協の産物でした。  (GLOBE+引用)

 

 

    最後に

ロシアがウクライナに侵攻したことで、

CSTOの中にも不協和音が生まれたようです。

 

アルメニアは、ロシアに軍事支援をして欲しいようですが、

ロシアにはその余裕がないのかも知れませんね。

 

ナゴルノ・カラパス紛争で、

アゼルバイジャンがドローンを多様して勝利していますが、

この紛争で戦争の仕方が変わったとも言われています。

欧米でも、米国や常にロシアの脅威を感じる

ポーランドやバルト3国と、

ロシアとの冷静な関係を望む

ドイツやフランスとの間には温度差があります。

 

強引な力抗しで欧米との間に亀裂を走らせても、

大国間のバランスを利用すれば決定的な孤立は避けられると

考えていたようです。

 

プーチン大統領のその考えは正しかったのでしょうか?

 

南オセチア紛争やクルミア侵攻の時に、

欧米諸国がもっと強い制裁やロシアの責任を追及していれば

ウクライナ侵攻は無かったかもしれませんね。

 

ウクライナジョージアEU加盟を望んでいますが、

道のりは遠いようです。

 

2022年6月23日に、

ウクライナEUの加盟国候補とすることに決定しました。

 

ウクライナは今後、EUとの間で正式な加盟交渉を開始し、

政治・経済・法律など

様々な加盟基準を満たしているかが判断されます。

 

例えば、GDPで他の国と比較してみると、

ウクライナGDPは4000ドル未満で、

EU平均の約11%(約9分の1)、EU内の最貧国のブルガリア

5分の2に満たないという現実があります。

 

ジョージアのDGPはウクライナより更に低く、

こちらもすんなり加盟できそうもありません。

 

また、ウクライナはロシアに次ぎ汚職などが多い

腐敗国とされています。

 

加盟実現には様々なハードルがあります。

NATOの加盟も同様に考えられます。

 

軍事アナリストの皆様の推測は、

ロシアとウクライナの戦争はまだ長引きそうで、

1年近くつづきそうだと言われています。

 

一刻も早い停戦を望みます。

実はこのCSTOの記事は、11日の日曜日に間に合うように

記事を書く予定だったのですが、

オミクロンにかかってしまったことで今日、

更新することになりました。

 

人生って、思いもしないことに遭遇して、

それからの人生が大きく変わってしまうことがあります。

 

そうなると、

今をこの習慣を大事に生きたいと思うようになります。

 

そういう経験をすることによって、

価値観やものの考え方も変わってしまうこともあります。

 

特に、病気をしたり、大事な人を失うような経験をすると

そういう傾向になりがちです。

 

そして、自分にとって本当に大事なことや幸せは何か、

見えてくる気がします。

 

そういう経験を何歳ででするのかでも、

その後の人生は大きく変化します。

 

それは、自分が望む、望まないに限らず

ある日突然やってきます。

 

熱に浮かされると、

急に昔のことを思い出したりするものです。

それもいいと思います。

 

今一度、今の自分を見つめ直すのも良いものです。

なんちゃって・・・笑

 

貴重な時間を使って頂き、ありがとうございました。