ゲラチーの気まぐれ雑記

日々自分が思っていたことや考えたことを記録する日記

ルクセンブルクの国旗と世界遺産アーヘン大聖堂

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当ブログに起こし頂きありがとうございます。

 

1月は記事を7つしか書いていません。

 

1月は仕事が忙しかったので疲れたのか、風邪をひいて

いつも記事を書いている土日に、寝込んでしまったりしました。

 

1ヶ月に何記事書くというふうには決めていなのですが、

さすがに7つは少なすぎと思い、このブログの目的の一つの

国旗と世界遺産の記事を、今月から少し頑張って

書きたいと思っています。

  

ブログを始めた時の意気込みでは,国旗と世界遺産の記事は、

1ヶ月に何記事も書くつもりでいたのですが・・・笑

 

それというのも、時間を使う優先順位でブログはゲラチーの中では

最下位なので、ついつい後回しになってしまいます。

 

ブログを書くつもりが、

ついつい、オンラインゲームをやってりしまったりしてます。笑

 

では気合をいれて、まず国旗からいきます!

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     今日の国旗3 ルクセンブルク

 

制定日:1972年    縦横比3:5または1:2

今日の国旗はルクセンブルグ大公国です。

 

国旗をどうやって選んでいるかというと・・・思い付きです。

その時の気分で気まぐれに選んでます。笑

 

ルクセンブルクの国旗は赤、白、水色の三色旗です。

 

1845年から1848年の間に初めて使用され、

公式には、公式には1972年6月23日に制定されました。

 

1830年ベルギー独立革命の砕、初めてこれらの三色が使用され、

1845年6月12日に水平三色旗のデザインが定着しました。

 

但し法律で国旗が規定されるのは、

前述のとおり1972年になってからです。

 

同じくベネルクスに属するオランダの国旗と似たデザインですが、

オランダは濃い青を使用するのに比べ、ルクセンブルグ

明るい水色と法律で規定されました。

 

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     ルクセンブルクはどんな国?

西ヨーロッパに位置する議会立憲君主制や大公国です。

 

隣接国は、南のフランス、西と北のベルギー、東のドイツです。

ベルギー、オランダとあわせてベネルクスと呼ばれます。

 

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         歴史

フランス革命後にフランスの支配を受けた後、

1815年にウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらも

オランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となりました。

 

1830年ベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、

首都ルクセンブルクを除いて、その統治下に置かれました。

 

1831年

ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュクサンブール州)

をベルギー、残りの領土をオランダ王国の統治下へと

帰属することが決められました。

 

この割譲が実現されたのは、1839年になってからです。

 

1869年にはロンドン条約によって、

プロイセン国王とフランスの緩衝国とするため、永世中立国となりました。

                       (ウィキペディア引用)

 

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日本とルクセンブルクとの関わり

森林と渓谷の景観に優れた国で、随所に残る古城や要塞が、

かつての「陸のジブラルタル」と呼ばれた難攻不落の地を

物語っています。

 

化学繊維を成分とするフェルト材の不織布を輸出し、

日本で使用される使い捨てのおしぼりの大半は、

ルクセンブルク製といわれています。  (東京都立図書館引用)

 

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   世界遺産3アーヘン大聖堂

 

今日の世界遺産は、「アーヘン大聖堂」です。

1978年の最初の12の遺跡の中の1つです。

 

世界遺産を知らなくて、クイズで答えられなので世界遺産

覚えたいと思っているゲラチーですから、

このアーヘン大聖堂も勿論、知りませんでした!笑

 

ゲラチーは、建物はイマイチ興味が湧かないところがあります。

でも、クイズに答えられるように頑張って覚えます!

 

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    アーヘン大聖堂とは?

 

アーヘン大聖堂は、

ドイツのノルトライン=ウェストファーレン州にある大聖堂です。

 

アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」として言及され、

この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のものです。

 

786年にカール大帝がアーヘン宮殿教会の建設を始めました。

 

817年にカール大帝が亡くなると彼は自身の大聖堂に埋葬され、

彼の骨は今も特別の宮殿に保存されています。

 

大聖堂は1000年以上の時を経て、現在の装いを整えました。

 

アーヘン大聖堂の中心は宮殿教会ですが、

それは後世の増築部分と比較すると、驚くほど小さいのです。

 

建設当時は、それはアルプス以北では最大のドーム建築でした。

 

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古典主義様式、ビザンティン様式

そしてゲルマン様式=フランク王国様式の要素を備えた

心を奪う建築は、極めて重要な記念碑的建造物の真髄です。

 

アーヘン大聖堂は、936年から1531年にかけての約600年間に

神聖ローマ帝国の30人の皇帝たちの戴冠式(たいかんしき)が

行われた場所でもあります。

 

巡礼者の莫大な流入に対処するために、ゴシック建築の時代に聖歌隊のためのホールが造営されました。

 

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それは、2つの部分からなるガラスの礼拝堂で

カール大帝没後600年を記念して奉献されました。

 

それ以来アーヘンの「ガラスの家」の壮麗な建築への称賛は、

決して止むことはありませんでした。

 

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アーヘン大聖堂の宝物館は、後期古典主義、カロリング朝時代、

オットー朝とシュタウヘン朝の時代の傑作を展示しており、

それらの中には「ロタールの十字架」や「カール大帝胸像」や

ペルセフォネの石棺」のようなユニークな展示もいくつかあります。

 

アーヘン大聖堂宝物館は北部ヨーロッパにおける、

最も重要な宝物館の一つとして、言及されています。

                   (ウィキペディア引用)

 

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             最後に

永世中立国

ルクセンブルク永世中立国というのは、知りませんでした。

 

永世中立国=スイスというイメージがありますが、

他にも永世中立国はあります。

 

一口に永世中立国といっても、どういう風に承認されているか?とか

諸事情もありますが、周辺諸国の承認により成立している国では

 

スイスー1815年

オーストリアー1955年

ラオスー1963年

トルクメニスタンー1995年

 

永世中立国を宣言しているに留まる国

 

カンボジアー1992年

モルドバー1994年

リヒテンシュタインー1867年

コスタリカー1983年

 

過去に永世中立国だった国もありますが、

永世中立国の条件や定義など書き出すと1記事書くらいの

文字数になりそうなので、省略いたします。

 

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アーヘン大聖堂は、さすがに最初の世界遺産の12に

選ばれるだけあって、歴史といい、建物の素晴らしさは

写真で見るだけでも圧倒的なものがあります。

 

日本では考えられないなぁ~と思ったのは、

建物の表面に沢山の像がありますが、

日本のように地震の多い国では考えられません。

 

ドイツは、地震が無い国なんだろうと思いました。

 

これだけ素晴らしいと、やはり実際に見てみたいと

建物にはあまり興味がないゲラチーでさえ思いました。笑

 

では今日はこの辺で失礼します。

次の世界遺産でまたお会いしましょう・・・

 

 貴重な時間を使って頂き、ありがとうございました。

 

 

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