ゲラチーの気まぐれ雑記

日々自分が思っていたことや考えたことを記録する日記

許家印氏とは

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当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。

 

最近のニュースで興味津々なのが、

「恒大集団(こうだいしゅうだん)」です。

 

中国版リーマンショックか?などとニュースで言っています。

 

恒大集団経営危機への対応は、

中国政府が色々な対応策を講じる可能性が高く、

混乱は起きないと言われています。

 

中国国内の深刻な金融危機に繋がるリスクは低く、

ましてやリーマンショックのような

グローバルな金融危機に繋がる可能性は低いようです。

 

22日に恒大集団が人民元建て社債の利払いを行ったことが、

株式投資家の安心感を高めました。

 

しかし、債務リストラ交渉中の中で最も注目されているのが、

恒大集団が発行したドル建て債務の扱いです。

 

海外から見た中国投資、いわゆるチャイナリスク

一段と高めることになるのかどうかです。

 

23日が期日だった米ドル建て社債の利払い

8353万ドル(約92億円)を延期しています。

 

利払いは30日間の猶予がありますが、

それを過ぎてデフォルトになるかが焦点です。

 

29日には別のドル建て社債で4750万ドル(約52億円)の利払いも控え、

当面は綱渡り状態が続きます。

 

この集団を一代で作り上げた許家印という人物に

興味を持ちました。

 

許家印(きょ・かいん)とは?

1、生い立ち

2、仕事

3、起業

4、イケイケドンドンの性格

5,「八項規定」と「5つの緊縮政策」

6,「共同富裕」と「3次分配」

について書きました。

 

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  許家印(きょ・かいん)とは?

        生い立ち

 

恒大集団とは、中華人民共和国広東省深圳市に

本拠を置く(とうき)不動産開発会社です。

 

創業者の許家印氏はフォーブスによれば、

2019年3月時点で362億ドルの資産を有し、

世界22位、中国3位の富豪でした。

 

「広州の皇帝」こと許家印(62歳)は前董事長(前会長)が

一代で築き上げた中国最大の不動産会社です。

 

許家印氏は1958年10月9日、

中国中部の河南省周口市太康県高腎鎮の寒村に生まれました。

 

父親は抗日戦争(1937年~1945年 中国側の呼称)に従軍した

元傷病兵で、村の倉庫の保管係をしていました。

 

1歳の時、母親が敗血症で死去。

許氏は幼少期から、祖母の内職を手伝っていました。

 

ボロボロの小学校に通いながら

『なぜ、中国の建物は雨風さえしのげないのか』と、

忸怩たる思いだったと後年回想されています。

 

1974年に高校を卒業すると、世は文化革命末期で、

村の保安係になりました。

 

許氏はこの頃、初めて小さな商いを行っています。

 

石炭や炭、米などの物資を生産現場から仕入れ、

村の市場で売っています。

 

それでも一家の貧困は続き、

176cmなのに、45kgしかありませんでした。

 

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1977年に、中国で約10年ぶりに大学入試が復活し、

許氏も受験しますが、不合格。

 

浪人して翌年再受験し、見事、周口市で3位の成績で、

湖北省武漢鉄鋼学院(現・武漢科技大学)に合格しています。

 

そこで金属材料を学び、工場の技術者を目指しました。

 

学生時代は奨学金を得て、服は一着しか持たず、

夜洗って裸で寝て、朝乾いた福を着るという日々だったようです。

 

食べる物もいつも固いパンをかじって、

飢えをしのいでいたようです。

 

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      仕事

 

1982年に大学を卒業し、河南舞陽鉄工場に「分配」されます。

(注:当時の中国は就職先は当局が指定していました)

 

そこで「車間主任」として、「生産管理300条」などを定め、

工場管理を覚えていきました。

 

若いながら管理の術が巧だったため、

工場内で「小皇帝」と呼ばれていました。

 

1992年、中国の最高実力者当時87歳の鄧小平氏が、

南方の深圳などを視察し、「南巡講話」を発表する。

 

保守的な路線に傾いていった江沢民政権に、

「改革開放を加速せよ!」と発破をかけたのです。

 

これに勇気づけられた許氏は、河南舞陽鉄工場を退職し、

改革開放の本場である深圳に渡ります。

 

深圳では、中達という貿易会社に就職します。

 

すぐに頭角を現し、オフィス主任を得て、

子会社の社長になります。

 

1994年の国慶節(10月1日の建国記念日)の時、

本社社長に『これからは不動産が開発される時代になるので』

『広州で手掛けたい』と進言します。

 

注:当時の中国は住居は当局から「分配」されるもので、

民間の不動産会社はほとんどありませんでした。

 

これが認められ、

広東省省都である広州に鵬達という子会社を作り、

そこをまかされるようになります。

 

広州で初めて、「珠島花島」というマンション群建設を行い、

2億元(約34億円)の利益をだします。

 

しかし、それだけの実績を挙げても、

月給は3000元(約5万円)のままでした。

 

そのため、許家印氏は仲達を退職します。

 

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       起業

 

1996年、38歳の許家氏は、わずか7、8人の仲間を集めて、

「恒大」を興します。

 

開業資金の600万元(約1億1000万円)は、中達から借金をします。

 

許家印氏は、広州の工業大通りに建つ農薬工場が

移転するという話に目をつけます。

 

広さは11万㎡で、土地に農薬が残留しているため、

1億元(約17億円)で土地の使用権を買収します。

 

そこで農薬工場と話をつけ、支払いを分割にしてもらい、

手付金の500万元(約8500万円)を支払います。

 

1997年8月、そこに「金壁花園1期」というマンション群323戸を

販売すると発表。

 

低価格がうけて、わずか半日で完売します。

 

それによって8000万元(約13億6000万円)の開発資金が入り、

マンションを着工します。

 

続いて同地に5期までで1600戸を販売し、完売します。

同様の手口で、「処女地」だった1000万都市・広州の不動産を

次々に開発していきました。

 

北京オリンピックが開かれた2008年、

恒大の年商は118億元(約2000億円)に達し、

翌2009年11月、香港証券取引所

「中国恒大」として上場を果たします。

 

即日、705億香港ドル(約1兆円)の時価総額を記録し、

422億元(約7200億円)の資産家になった許家印董事長は、

一夜にして中国ナンバー1の富豪になりました。

 

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   イケイケドンドンの性格が仇に

 

許家印氏は、鄧小平氏先富論

(先に富める者から富んでいけと改革開放を加速させた)

の申し子のような経営者です。

 

鄧小平氏路線を引き継いだ江沢民胡錦濤時代に

飛躍していきました。

 

許家印氏の言葉で最も有名なのは、

「買買買、合合合、大大大、好好好」です。

 

「買収と合併によって仲間を作って大きくなり、好くなっていく」

という意味。

 

各字を3つ重ねにしているところが、

イケイケドンドンの性格をよく表しています。

基本的に「バブル人士」なのです。

 

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 「八項規定」と「5つの緊縮政策」

2012年11月に共産党総書記についた習近平氏は、

その翌月に発表した最初の主要政策が「八項規定」(贅沢禁止令)

だったことでも分かるように、

基本的に緊縮財政の思考の持ち主です。

 

2015年12月の中央経済工作会議で「供給側構造改革」という

「5つの緊縮政策」を打ち出し、この政策は現在まで続いています。

 

2016年12月の中央経済工作会議では、

「家は住むためのもので、投資するためのものではない」

と唱えています。

 

以後、このスローガンによって、

不動産価格の抑制策をとってきました。

 

平時においては、こうした政府の抑制策と不動産業界の積極策は

微妙な均衡関係を築いてきました。

 

ところが、新型コロナウイルスが中国を襲い、

不動産業界を直撃。

 

恒大は、中国全土で販売中の住宅用マンションとオフィスビル

昨年2月18にちから29日まで、一律25%引きにしました。

 

さらに3月1日から31日までは、22%引きにしました。

コロナ禍になって、わずか1ヶ月余りで音を上げてしまったのです。

 

これは恒大の経営が、いかに自転車操業だったかを物語っています。

 

ところが、コロナ禍になって習近平が政権が恐れたのは、

不動産バブルの再燃でした。

 

中国はコロナ禍によって、経済格差がますます拡大し、

カネ余り現象が大都市圏の不動産価格の高騰を

うんでいたからです。

 

そこで昨年8月に「3つのレッドライン」政策を打ち出し、

不動産業界に手枷足枷をはめてしまいました。

 

さらに今年1月からは、住宅ローンや不動産企業への

融資に総量規制を設け、金融業界にも手枷足枷をはめたのです。

 

こうして、異業種進出、コロナ禍、政府規制などがあいまって、

恒大集団は資金繰りが回らなくなってしまったのです。

                (ライブドアニュース引用)

 

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   共同富裕と3次分配

 

もともと恒大集団の過剰にリスクをとる経営手法に

問題はありましたが、突如経営が行き詰まる

直接のきっかけとなったのは、習近平政権による

民間企業への規制の強化と言われています。

 

習近平政権は、格差を縮小し平等な社会を作るという

「共同富裕(ともに豊になる)」の実現を掲げ、

富の配分を強化するという方針を示しています。

 

そのもとで、大きな収益を上げる民間企業や富裕者層は、

「3次分配」と呼ばれる寄付を強いられています

 

昨年来、習近平政権は民間企業に対する強化を加速させてきました。

 

アリババグループやIT企業に規制強化を強めた後、

学習塾など民間教育に対して強い規制を講じました。

 

これも共同富裕の理念と関わっています。

そうした産業が激しい学歴競争と格差社会を助長し、

教育費の増加を通じて庶民の生活を圧迫しています。

 

子供を持つことを妨げ、

出生率の低下にもつながっているという説明です。

                  ((NRI引用)

 

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      最後に

 

貧しい中国の寒村に生まれた許家印氏は、

苦労の連続だった人生を努力と頭の良さで切り開き、

そして先見の明や性格も相まって、

中国で一番のお金持ちにもなりました。

 

それは、鄧小平氏江沢民胡錦濤氏と続いた政策があり、

時代の寵児だったのかもしれません。

 

しかし、時代が変わり、政策が変わった時には、

大きくなり過ぎた会社ややり方は、

時代には合わなくなっていました。

 

許家印氏の失敗は、失敗しなかったことにあるのではないかと

思いました。

 

失敗しなかったことで、慎重にならずにイケイケドンドンで

来てしまった気がします。

 

先見の明があり、世の中の流れに乗り、上手くいき過ぎた結果、

最初の失敗は、最後の失敗になってしまったかも知れません。

 

恒大集団の今後に注視しています。

 

貴重な時間を使って頂き、ありがとうございました・

 

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