ゲラチーの気まぐれ雑記

日々自分が思っていたことや考えたことを記録する日記

泳ぐ宝石錦鯉のはなし

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当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。

 

優雅に泳ぐ錦鯉は、「生きる芸術」「泳ぐ宝石」

ともたたえられます。

 

色鮮やかな体色が錦に例えられ、

新潟県で品種改良や養殖が進んだ錦鯉を

日本の国魚にしようという話もあります。

 

今日は、そんな錦鯉のことについて書きたいと思います。

 

ただ、歴史を詳しく書きすぎてしまって、

文字数が多くなってしまいました。

 

適当に飛ばして読んで下さって結構ですので・・・

 

昭和初期の日本では、

庭の池で泳ぐ錦鯉が豊かさの象徴だったようです。

 

しかし、現在は都市集中による住宅の狭小化、

集合住宅化が進んだこともあり、

錦鯉を見かけることは少なくなりました。

 

しかし近年は、世界の富裕層に人気があり輸出が好調です。

 

youtu.be

 

      錦鯉の最高値

 

世界の富裕層に人気の錦鯉の最高値は、

どれくらいだったのでしょうか?

 

2018年10月、広島県三原市にある阪井幼魚場で

オークションンが開催されました。

 

オランダやドイツなど海外のディーラーが集まった会場は

熱気に包まれ、価格はみるみる上がっていったようです。

 

その結果、落札額は史上最高値の2億300万円の値がつきました。

 

歴史的な高値をつけた錦鯉の名前は「Sレジェンド」で、

阪井養殖場で育てられました。

 

「Sレジェンド」は、台湾の方に落札され、所有権は移りました。

 

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       錦鯉の価値

 

錦鯉は通常、年間7センチ体長が伸びるそうですが、

「Sレジェンド」は2倍の14センチ成長し、

9年後には1メートルを超えたそうです。

体重は45キロの特大級です。

 

錦鯉の価値は、大きさや模様、色の鮮やかさ、

からしっぽの形などで評価されるそうです。

 

愛好家たちが大金を払うのは、品評会で自分の持っているコイが

高い評価得る名誉のためだそうです。

           (タウンネット・ライター:tama35引用)

 

        錦鯉の歴史

歴史を詳しく書き過ぎてしまったので、興味のない方は飛ばして下さい。

 

     錦鯉の誕生

 

錦鯉が全国区になったのは、

1914年(大正3年)の東京大正博覧会で、「越後の代わり鯉(変鯉)」

として紹介されたのがきっかけでした。

 

他に、「色鯉」「花鯉」「模様鯉」などとよばれましたが、

昭和10年代に「錦鯉」という呼び名が広く浸透しました。

 

我が国における鯉養殖は、最も古い文献は日本書紀(720年)の中に

影行天皇の4年(94年)に天皇が美濃の国詠宮(くくりのみや)の池で

鯉の泳ぐ姿を鑑賞されたと記されています。

 

推古天皇(620年)も大和飛鳥川のほとりにある曽我馬子の庭園で、

泳ぐ鯉をご覧になったという文の下りがあると、伝えられています。

 

江戸時代になるまでは、全くの空白で文献が見つかっていません。

 

本草和名(1796年)に赤、青、黒、白鯉と記載されており、

これは緋鯉、真鯉、色無地鯉のことで、

これらは真鯉の中から突然変異として出現したもので、

後の世に錦鯉を誕生させる鍵になてっています。

 

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       錦鯉発症の地

 

錦鯉の発症の地山越郷は、古志郡と北魚沼郡の接する

最も雪深い山間地であり、ここに住む人たちにとって食用鯉は

貴重な蛋白源で、竜は農業用の溜池で育て孵化した稚魚は、

水田養魚によって育成し種苗を確保していました。

 

昭和45年頃からの米の生産調整政策で水田で米を作らずに

養殖池として転用され、手ごろな大きさに成長すると、

降雪前に食用として売買されていました。

 

食用の全てが真鯉で、真鯉には3種類の品種があり、

この地方では浅黄真鯉がほとんどでした。

 

      江戸時代

突然変異によって江戸時代の後半に

青い鯉が生まれ、これが浅黄と呼ぶ錦鯉の原種でした。

 

食用として飼われていた鉄真鯉が近親交配される中で、

江戸時代の末期、文政の頃(1818年~1829年)突然変異として

白色化した水浅黄と緋鯉の中から白い肌に赤い鱗の並ぶ

「鹿の子」が出現しました。

            紅白(ウィキペディア引用)

 

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          明治時代

 

明治に入ってから、背に赤斑の浮かぶ更紗と呼ばれる

紅白の祖先が生まれ、天保年間(1830年~1843年)には

頭半分が紅い「頭巾かぶり」と呼ばれる口の周りが紅い

「口紅」が出現しています。

 

明治7年~8年(1874年~1875年)紅白種の素地らしい薄紅の型取りを

したものが現れ、地域に分散します。

 

            大正三色(ウィキペディア引用)

 

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           大正時代

 

紅白が完成し、紅白を片親として、赤黒斑の別甲が交配され

大正6年(1917年)に大正三色が誕生し、

また紅白の中から紅い鱗を藍衣と黒い緑取りの黒衣等が生まれ、

品種を多用にしてきました。

 

錦鯉の品種改良途上には、ドイツの鯉との交配が

成功したことにあります。

 

ドイツ種と浅黄を交配できたのが「秋翠(しゅうすい)」であり、

秋翠と紅白と大正三色とを交配することで紅白(ドイツ紅白)

作出されました。

 

ドイツ特有の鏡鱗(半月型)は強い遺伝力があり、

全ての品種に確実にその形質が伝わっています。

 

            黄金(ウィキペディア引用)

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          昭和時代

昭和22年新潟県古い群竹沢村(現長岡村)で、

胸鰭が金箔の舞扇のように輝く黄金鯉が作出されました。

 

この黄金の鯉の血液を受けて、改良された品種は26種に及びます。

また、金銀鱗の固定によって、一層華麗に錦鯉を変身させました。

 

昭和40年代、広島県の上寺氏等によって、

従来の銀鱗には見られない

全身に鱗を金色や銀となって輝く新種が固定されました。

 

多くの生産者が銀鱗を品種改良に取り入れ、

錦鯉の基幹品種である紅白や大正三色昭和三色に乗せ、

改良の速度を加算させました。  (全日本錦鯉振興会引用)

   

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         海外輸出が急伸

 

海外輸出が急伸したのは、21世紀に入ってからです。

 

財務省の貿易統計によると、金魚を除いた錦鯉などの

鑑賞用の輸出額は、2000年頃までは10臆円程度だったのが、

2019年には47,2臆円と5倍近くまで上昇しています。

 

東南アジア圏では"Nishikigoi"の人気により、

日本語の"koi"は、錦鯉のことを指し、

英語における"Carp"とは別物として浸透しています。

 

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   新潟県錦鯉品評会

 

毎年11月に開催される「新潟県錦鯉品評会」 の会場には、

青いビニールプールがずらりと並んでいます。

 

錦鯉は庭園などの広い池で優雅に泳ぐものなので、

見下ろした際の色彩、模様、体系の良さで決まるため、

上から覗き込むように展示してあるのです。

 

新潟県は、錦鯉発祥の地で、現在も養鯉(ようり)業者が300以上という

日本最大の生産地です。

 

錦鯉品評会は2020年で60回目を迎えました。

世界最大級の規模を誇り、82業者が合計753尾を出品しました。

 

例年は1000人以上のバイヤーや愛好家が集まりますが、

コロナ禍のため、海外からの参加者は少なかったようです。

 

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        人気の御三家 

 

数多く品種の中でも「紅白」「大正三色」「昭和三色」は、

特に人気が高く、錦鯉の御三家と呼ばれています。

 

海外では和風の御三家よりも、

金色や銀色のゴージャスな錦鯉が好まれそうですが、

最初はそうでも、やっぱり御三家に行き着くそうです。

 

御三家は、色や模様の個体差が大きく、

年齢に応じて変化していきます。

 

予想をし、成長を見守るのがだいご味のようです。

 

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         国内での普及が課題

 

日本の愛好家が高齢化しているのに対し、

海外では若い世代の錦鯉のファンも多いと言うことで、

ブームはまだ続きそうです。

 

養鯉業では将来の担い手が豊富です。

 

日比の地道な飼育業に加え、交配には施行錯誤や

芸術的なセンスも必要な仕事ですが、世界中を相手にし、

成果を出せば大金も稼げるため、魅力的な就職先になっています。

 

しかし、国内では錦鯉の素晴らしさが忘れられつつあります。

 

日本ではお金持ちの道楽的なイメージが抜けないためです。

 

錦鯉は水槽でも育てられ、数百円から買えるのので

もっと多くに人に親しまても良いはずなのです。

 

鯉は飼育環境に合わせて大きくなるので、

一般家庭の水槽で飼えば、小さいまま楽しむことも出来ます。

 

実際、欧州では数千円のものがよく売れており、

子供が餌やりを担当するなどして、

家族全員でペットとして育てている場合が多いそうです。

 

優秀な鯉が大量に流出していることで、

海外の養殖レベルも高くなっています。

 

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   中国で錦鯉が空前のブーム

 

中国では最近錦鯉が空前のブームになっています。

中国の2018年度流行語大賞ベスト10では、

「錦鯉」がトップになりました。

 

中国ネット通販大手「アリババ」の決済サービス・アリペイが

公式ウェイボーアカウントで、書き込みを転載して当たれば

「中国錦鯉になれる」というキャンペーンを実施したことから

300万回以上のリツイートと2億超えのアクセスを記録しています。

 

当選したユーザーは、多額の賞金と商品を獲得。

 

このため、アリペイの「中国錦鯉」は「強運の持ち主」

という意味に転じて、

大盛り上がりのキャンペーンになりました。(トータルクリーン引用)

 

日本のレベルとはまだ差がありますが、

特に中国の養殖業者は、将来強力なライバルになりそうです。

  

海外での需要が拡大している今だからこそ、

国内でも日本の宝として再評価され、

関心が高まることが期待されています。 (nippon・com引用)

 

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          最後に

 

錦鯉の記事を書いていて思ったのは・・・

 

真鯉の突然変異を見つけたところから鯉の品種改良を重ね、

現在の「泳ぐ宝石」とまで言わしめるところにまで行く着くところに、

日本人気質を感じました。

 

地道に研究を重ね、試行錯誤しながら極めていく、

日本人の真面目さと探求心が、

錦鯉の美しさに凝縮されている気がしました。

 

最近の錦鯉の話題は、「輸出が好調」なことや

「高額取引」などに注目が集まりがちで、

一般の人達に、もっと鯉に親しむことは忘れさられていました。

 

水槽で飼えば、そんなに大きくならないことなどを、

もっと知ってもらう必要があります。

 

錦鯉はどうしても、お金持ちの庭の池で泳いでいるイメージが

抜けないのは、ゲラチーだけでしょうか?

 

錦鯉水槽で飼ってみたくなりました。笑

 

貴重な時間を使って頂き、ありがとうございました。

 

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             (ウィキペディア引用)